身近な人の死に影響されて、無気力になってしまった。
お久しぶりのモコです。
色々と整理がつかなくて、日々のいろんなことを見失ってしまいました。
私は日記が趣味でもあるので、ここでいろいろ吐き出して整理をつけられたらいいな。と思うくらいになったのでしようと思います。
まさに日記。独り言のような記事になるでしょう。
いち主婦の経験から、独断と偏見で綴るブログ。
一つの意見として誰かの役に立ったらいいな
はじめます。
身近な人の死に影響されて、無気力になってしまった。
これまでにも、一緒に暮らしていたおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなることはありました。これが初めての経験では無いのですが、私にとって父親がそれほどに特別であったという事なのか、親の存在?立場?がそうなのか……。
本当にぽっかりと体に穴が開いたような気持でいます。
遺産相続に向けてやらないといけないことや、日々の子どもや旦那さんのお世話にしごとと、やらないといけないことがある。そして何とかこなしているけれど、何かがいつもと違う気がして気持ちが晴れない。
モヤモヤとした何かがずっと気持ちに引っかかっていて、説明がつかない。
そんな状態のまま気づけば1ヶ月経ってしまっている。
私の父はCOPDで酸素をつけるようになったのが東北地震の時だったので、もう10年病んでいた。去年は夏場に体調を崩してしまい、救急車を呼んで欲しいと言われて呼んだ。救急車はすぐに来てくれたが、コロナで搬送先が決まらず炎天下の車の中でかなり待たされて辛そうだった。思えばその体調不良をきっかけにだんだんと体を横にしていることが増えて、足がやせ細り自由が利かなくなっていった。
今年の夏は食欲が落ちて、ご飯は食べなくても大好きな饅頭やおはぎは食べていたのに、お土産で持って行っても食べなくなっていた。
だんだんと立ち上がるのが大変そうになって、掴まるものが物が必要になって、トイレが間に合わなくなって、すぐ居眠りするようになって、今日はずっと眠ってる……。
ここまでが2週間くらいで、ある朝自分で病院に行きたいから救急車よんでくれっていって、病院に行ったら先生に、あと40分も何の処置もしなければ亡くなっていたところだって言われた。
そこからマスクをつけて1週間。
先生からの説明で、ここから先マスクは外せないだろう。家に帰るなら機械のレンタルや訪問介護を……。そんな説明を受けて家族でお世話がやりきれるのか?受け入れてくれる施設があるのか?必要な道具は?いろいろ考えた。
痰とりに失敗したら亡くなってしまうかも。と言われればもしお世話に失敗したら私が殺したことになる。そんなこと私にできるだろうか?母も悩んでいた。
かなり具体的にいろいろ考えて、眠れない日々を過ごしていたけど結局。
これ以上の処置はできないし、このままマスクをつけ続けても鼻の肉が削れて骨が見えてしまう。それはかわいそうなのでその前に決断してほしい。と、病院に言われて話し合いでは日を決めることになった。
しかし、マスクを取れば亡くなってしまうって分かっているのに、その日を決めるってことはやっぱり殺すってことなんじゃないか?
でも呼吸が続いているだけで、この状態を生きているって言えるのか?
このままでいて先生が言うように、鼻の骨が見えるほど続けるのか……。
悩みに悩んだものの、やはり父を見たら自然になくなるまでこのままにしてもらいたい。ということになって家族は病院を後にした。
その2時間後に父は亡くなった。
段階を踏んでいたし、いわゆる老衰なんだと思う。
最後は苦しんだ様子もなかったし、まさに眠るように終わりを迎えられた。
顔もきれいだった。
まだ信じられない。受け入れられない気持ち
これを書いていても涙が止まらない。
お葬式も終わったし、辛い最後じゃなかったし、生きているものはなんでも必ず死ぬ。そんなことはわかってる。わかっているのにどうしてこんなに涙がとまらないのか。日常生活に支障は無いし、いつものように過ごせている。
誰かと話して笑うこともできるし、しばらく忘れっぽくなっていたけど今はそうでもない。それなのになぜかずっと違和感を感じている。
いつもなら、スキマ時間に自分のやりたいことをしよう!ってパワーにあふれていたのに、今は自由にできる時間があっても気力がわかない。
ブログや絵を描くことに目標をもって取り組んでいて、時間を作ることに躍起になっていたのに、今は手を出すのにからだが重い感じがしていて、立てた目標に取り組めないことでさらに気が落ち込んでいく……。
なんだか、今が現実では無いような眼鏡を忘れたようなぼんやり感が続いていた。
今日、この記事を書くにあたって
“あー、まだ受け入れられていないんだなー”
と気づけた気がする。
何だかうまくいかない
何をしてもしっくりこない。ちゃんとできているはずなのに達成感が得られない。
とにかく気分?気持ちが良くない角度に流れている気がして焦りすら感じる。
先の見えない霧の中にいるのに、早くゴールに着きたくて焦っているようなこの気持ち。どこに向かったらいいのか見えてもいないのに、進まないといけないって使命感に気持ちの行き場がなくなってしまっている。
それなのに、周りの人にとりつくろえているのか誰にも気づかれない。
気づかれている感じがないから、こんな気持ちでいることを誰にも話せない。
それは良い事のようでもあるし、私にとって行き止まりのような気もする。
ただ確実に言えるのは、どうにもできない。という現実。
それでも続いていく毎日
私は主婦だし
母だし
ご飯作らなきゃだし
子ども起こさなきゃだし
着替えさせて
園に送って
仕事して
迎えに行って
家事をして
毎日を生きていかないといけないし、特に何があったわけでもないけど今日はブログを書いているし、明日は絵を描こうとか思えるかもだし、徐々にもとに戻っていくのかもしれない。
本当は早く戻って、目標に向かって夢中に取り組んで達成感を得たり、充実を感じたりしたいけど、正直自分でどうにかできる感じがしない。
これ以上のダークサイドに落ちないように気を付けながら時が解決するのを待つしかないのかもしれない。
最後の見出しを書いている間に涙が止まった。
日常生活に支障がでていないなら、もう少し待ってみよう。
身近な人の死に影響されて、無気力になってしまった。
同じように身近な人をなくして辛い思いをしている人が見ていたら、伝えたい。
この気持ちは他の人にわからないと思う。
あなただけ、私だけの気持ちです。
たとえ兄弟や、同じ立場の人を亡くした人でも感じ方はそれぞれで同じ気持ちにはなれません。
この気持ちが解消される時がくるのかどうかもわかりません。
時間が解決してくれるとするなら、そこにかかる時間もまたそれぞれだと思います。
幸い私は日常生活が送れているので、いいのですが、できなくなってしまった人はちゃんと助けを求めてくださいね。話せる人がいるなら、その人に。
知っている人は気が引けるならカウンセリングに。鬱は怖いです。
私もしばらくは、この気持ちにしっくりくる言葉を探して悩むんだと思います。
今日はこの記事を言葉で残せたことで、ゴミだらけだった気持ちの部屋の置かれているものの形くらいは見えてきたきがします。
今日も必死に頑張っている
あなたの役に立てたら嬉しいです。
おつかれさま!!